これから書くことは、私の心のつぶやきです。
私の持論として、本当は手話を覚える事と手話検定を受ける事とは
別物という考えがあります。
別に試験なんて受けなくてもいいじゃないか・・・と。
それは、別にめんどくさいからとか、勉強が嫌いだからとか
そういうのとは違うんです。
私は別に通訳者になりたいわけではないのです。
今から30年程前に、北海道初級手話通訳者の試験に合格しました。
(今は、無い試験です。)
この試験を合格した後のろうあ者の態度は劇的に変わりました。
昔の話ですから、今の若い世代のろうあ者とは合わない話かもしれませんが
きっと、当時のろうあ者にとって
この人は「信頼できる」「まだ信頼まではいかない」のバロメーターの一つとして
手話ができる = 初級通訳合格 = 信頼がおける
という公式があったんではないかと推測されるのです。
と、同時に
通訳者がまだまだ全然足りない時代に
一人でも多く、一日でも早く、通訳者として育ってくれる事を
ろうあ者の方々は心から願っていたのでしょう。
その気持ちが解ったから、試験を受けたのです。
でも、私は当時から思っていました。
私は通訳者にはなりたくない!っと。。。

通訳者になるために手話の会に入ったのではないのです。
私が求めていたのは、
ろうあ者の友達です。
手話で会話のできるご近所さんです。
普通の近隣さんです。
要するに、ろうあ者の皆さんが、極当たり前に
普通に暮らすためのサポートができる
世話焼きさんで居たかったから手話の会に入ったのです。
それは、つまり、手話通訳じゃないの?
って突っ込まれそうですが、、、、
ご近所のお節介おばさんに肩書はないですよね?
昨年も何度か書いてきましたが
私の理想とする社会は、通訳者の居ない社会です。
なぜ通訳者が必要なんですか?
ろうあ者の発信する言葉が解らない人が居るから必要なんですよね。
みんなが、ろうあ者が解るような手話や他の手段を使って
会話しないから必要なんですよね。
社会のみんなが手話を使えたら、わざわざ通訳者なんて必要ないですよね。
つまり、そういう事です
通訳者ではなくて、手話を使える社会の一員 でありたいだけなのです。
人には役割があると思っています。
色々もっともらしい話を書いてきましたが
私のこの理想論も、手話が言語だと認められるまで
色々な行政に働きかける必要があるわけです。
そういうことができる人は絶対に必要です。
また、社会全員が手話を使えるようになるまでには
まだまだ長い年月がかかるわけで、
じゃーその間、通訳者なしでいいのかと言ったらそんな事はないです。
病院や、政治の事、色々な手続きの事
手話だけじゃなく、ろう者一人一人に密接に関わる
心から信頼のおける通訳者は絶対に必要なのです。
たぶん、世の中の人が全員手話を使えたとしても
きっと、手話通訳士が居なくなる事はないと思います。
教育評論家が居るように、医療ジャーナリストが居るように
その道の専門家が居るように、
当たり前に手話のスペシャリストが居ても、おかしくないからです。
長々とうんちくを並べてみましたが・・・
こんな理想の社会はまだまだきそうもないので
ひとまず、自分が手話をもっと覚えて、
普通の会話が、普通に手話で出来るようになるための
きっかけとして、手段として、今年は検定試験を受けよう!!と決めました。
本当は試験は大嫌いなんですけどね
とりあえず、出来るだけ頑張ってみよう!と思います。
と、いうわけで
今年、全国手話検定試験2級を受けるまでの
様子と、行動を、今年は「つぶやき」の中に書き込んでいきますので
良かったら、たまーーに見て下さい